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2011年2月8日火曜日

ぼくがソラニンを嫌いな理由

僕は今、OLYMPUSのカメラがやたら欲しい。

そしてOLYMPUSといえば、宮崎あおい。

宮崎あおいといえばソラニンの映画。

という、謎の思考回路を通ってバイト中にソラニンについて考えるに至った。


映画は見ていない。

しかし映画の公開よりも先に原作であるマンガを読んだことがあった。

読み終えて最初に僕は

「もう2度と読むことはない。読みたくない。」

と思った。

つまらないとは感じない。

ただもう読みたくない。

あれは何気ない普通の若者の日常の中、突然好きな人がいなくなって(死んで)しまうというただの悲しい話じゃない。

それだけならそこらのケータイ小説とかとなんら変わりはない。

僕が嫌なのはそこじゃない。

僕が嫌なのは「何気ない若者の日常」の方だ。

物語全体に漂っているどうしようもなく気怠い日常の雰囲気がたまらなく辛い。

あの「気怠い日常」は誰の身近にもあるんじゃないだろうか。

少なくとも僕の近く、すぐ近くには存在している。

手が触れてしまうほどの距離に確かにある。

それが辛い。それが嫌だ。

きっとその気になれば振り払うことができる。

でもそれは一時的で、多分また気がついたら後ろに立っているんだと思う。

あの雰囲気と無縁で生きていくことなんて多分無理だし、うまく付き合っていきたくもない。

僕にしてみればどうにもできない怪物みたいだ。


ソラニンを読んだときに、そんな怪物を

「ほら、お前のところにもいるぞ。」

って突きつけられたような気分になったんじゃないかと思う。

反射みたいに僕は

「お前なんか嫌いだ!」

と感じたのだと思う。


読んだのは随分前だけどいまだに読みたくない。

もしも映画にもあの雰囲気がいるのなら見たくない。


ただ自分がどうしようもないからなのだが、こんなわけで僕はソラニンが嫌いなんだ。


長くなったし変な表現が混ざってまとまりがなくて申し訳ないです。


そんなことを思ったんだってば。

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